本日の英語ブログには佐怒賀さんの俳句英訳を。
寒玉子立つや宇宙の扉開く 正美
(2013年俳句四季1月号 より)
(ふぇい) 2・8・2014
本日の英語ブログには佐怒賀さんの俳句英訳を。
寒玉子立つや宇宙の扉開く 正美
(2013年俳句四季1月号 より)
(ふぇい) 2・8・2014
アメリカ人の俳句仲間に頼まれて(命令されて?)始めた1日1句虚子以降の日本の俳句を英訳して紹介するという我がブログ
(http://fayaoyagi.wordpress.com)にインターネット句会に参加してくれているニューヨークの月野ぼぼなさんと、秋田在住なんですが何故か「サンフランシスコ支部副支部長」を務めている(私が勝手に任命したのですが)の句を紹介しました。共にスピカの「作る」ページで二人が毎日1句ずつ紹介した中からのものです。
尖る日は水鳥の水を見にゆく 月野ぽぽな
冬の水影に寄り来る魚影かな 五十嵐義知
(以前に「天為」や「秋」の誌上で発表した句集鑑賞も含めて、いただいた句集の感想を載せていこう、と思う)
天為同人の五十嵐義知君から第一句集「七十二候」(邑書林)が届いた。1998年から2012年までの334句が六章に分けて収められている。有馬主宰が序文に書いておられるように「格調の高さに驚く」句集で完成度の高いものだと思う。
北国の森の入口一位の実
一列に並ぶ風車や林檎園
象潟の島を残せる植田かな
鳥海山の風吹き止まぬ初昔
秋田産まれ・育ちだから北国の景色を美しく捉えることに長けているのは当然と言えば当然かもしれないが、アンセル・アダムスのヨセミテの写真のように、その土地への愛情と尊敬が感じられる。
狐火を右手に羽前羽後越ゆる
落人の谷やあまたの蟬の殻
北国の北に国あり雁渡し
薄氷のみな割られたる獣道
出雲で天為の同人会があった時、サンフランシスコから東京経由で飛んで来た私よりも秋田から電車を乗り継いで来た義知君の方が旅の時間が長かったと聞いたことがある。
古の都人たちが辺境と感じた土地には、不思議な哀しさを持った長い歴史があるようにも思う。その中を義知君は狐火を右手に越えてゆく。落人の谷に蟬の殻をみつける。更に北には雁が帰ってゆく国があるという。マタギたちが闊歩した山の中には不思議な獣も住んでいるのかもしれない。
山の端の光の帯や酉の市
光受く木の精霊の樹氷群
行く年や街の光の海に入る
光さす海の深くに余寒あり
「七十二候」には光を扱った句が多い。
自分の周りにはない光に憧れているからではなく、自分が魅せられた景にスポットライトを浴びせようとしているからだと感じる。その光は時に淡く、時に優しく、時に太く強い。
愛せよと光の中を浮く海月
糸瓜水光の中を落ちにけり
時の日のひかりうけたり砂時計
揚句の海月、糸瓜水、砂時計への光は義知君本人であるような気分になる。激しくタクトを振る指揮者としての「光」ではなく、人形使いのようにゆっくりと対象を浮かせ、静かに落し、微かな音を立てさせる。
龍神の取り逃がしたる浮いて来い
六つ目の大陸に着く絵双六
緑なす演奏会やゴーシュゐて
霊山の結界のごと月夜茸
現代の民話的な要素の句にも注目したい。何かの本にグリムやアンデルセンの寓話は子供向けのほのぼのとした話というより、残酷な「暗」の要素も多いと書いてあった。義知君の描く龍神や双六やゴーシュの姿を見つける演奏会、霊山の月夜茸は少し暗めの赤の色彩がある。それを見つめる作者の眼の優しさのようなものも感じられる。これも「光」の一種なのかもしれない。
惑星の会合周期春の夕
失はれたる時を求めて魚は氷に
初夏や背伸びしてゐる麒麟ほど
鍵束の中の一本花に落つ
言葉少なでチャラチャラした所のない義知君ではあるが、その句には男の浪漫みたいな句も流れていると思う。一本筋の通った、自分の作風がぶれない俳人が今後どういう渋み、甘さを出してゆくのか楽しみでもある。
闇いまだ深まりきらぬ冬館
冬の夜の静けさにある蝶番
滝壺に届かざるまま凍りけり
冬の長い土地に住んでいるせいか、義知君の描く冬は美しいと思う。旧家を支える一本の太い柱のような安定感がある。
まつすぐな道まつすぐに風薫る
日食やでで虫あまた通り過ぐ
風吹けば風吹くやうに糸蜻蛉
義知君の歩く道は今までもこれからも真っ直ぐな一本道だろう。でで虫のようなゆっくりとした歩みかもしれない。が、風に身を任せる柔軟かつ透明感のある蜻蛉の翅のように、きらきらと未来へ進んでいくのだと思う。
2014年1月の「スピカ」の「つくる」ページは江渡華子さん。
現在妊娠9ヶ月だそうで胎児俳句を掲載しておられます。
妊娠の俳句、子育ての俳句はあるけれど、胎児俳句ってのは珍しいかも。。。
臨月や冬の虹すら美味しさう (1・4)
腹の子のいよいよ父似冬銀河 (1・9)
木枯らしや胎児の黒子なき背中 (1・10)
「週刊俳句」350号 (http://weekly-haiku.blogspot.com) の新年競泳に「天為」からも、天野小石編集長、五十嵐義知君、生駒大祐君、岸本尚毅さん、澤田和弥君が1句載せてあす。SF支部句会に参加している「海程」同人でニューヨーク在住の月野ぽぽなさんの名前も。
「週刊俳句に新年の1句を出して見ようと思います」和弥君からのメールで、私も1句送りました。
苗字のあいうえお順で一番最初に出てたのが、やや赤面。
サンフランシスコのメール句会にも参加してくれている義知君が12月のスピカ「つくる」ページを担当。
11月は「海程」同人で同じくサンフランシスコの句会メンバーでもあるニューヨーク在住の月野ぽぽなさんが担当でした。
スピカのURLは以下の通り。
第五回ハイク・パシフィック・リム
2012年9月5日から9日までサンフランシスコ空港より2時間ほど南下したカリフォルニア州のパシフィック・グローブにあるアシロマー・コンファレンス・センターにおいて、アメリカ俳句協会(HSA)、有季定型ハイクソサエティ(Yuki Teikei)、北カリフォルニア俳人協会(HPNC)の主催により第五回ハイク・パシフィック・リム(HPR)が開催され、有馬朗人先生を基調講演にお招きした。深夜の羽田発の便での機中一泊を含む3泊3日の強行スケジュールだったが、朗読会、英語俳句の句会の選と講評、基調講演、著書サイン会と八面六臂の活躍をしていただき、先生クラスの日本の俳人と言葉を交わすことの少ない英語俳句の愛好家たちにとってはまさに人生に一度の貴重な体験となった。基調講演の後にはHSAの会員誌であるフロッグ・ポンド副編集長による公開インタビューを行い、アシロマービーチでの吟行の際には浜辺でハイク・クロニクルのウェブサイト用の撮影も行った。完璧なるバイリンガルかつアメリカで教鞭をとっておられたこともある先生は、終始皆を笑わせながら、「ドクター・アリマなんて堅苦しい呼び方をせず、アキトと気軽に呼んでくれれば良い」とおっしゃり、カフェテリアでのランチやディナー、休憩時間にも常にたくさんの俳人たちに囲まれておられた。
先生は5日の夕方にサンフランシスコ空港へ到着された。ゲートで待っていたら、日本航空のグランド・ホステスに引導されて先生が出ていらした。オーストラリアや日本から今回のHPRに参加した人たちからは税関が長蛇の列で通過するまで1時間以上かかったと聞いていたので「早いですね」と驚いた私に「ちょっと僕のパワーを使っちゃったよ」と笑っておられた。その夜はサンフランシスコ市内のホテルにご宿泊いただき、翌日、元HSA会長でHPNCの創設者でもあるゲリー・ゲイをガイド役に専用車でアシロマーを目指した。
HPRは前日から始まっていたので予定ではランチの会場で参加者全員が起立して先生を拍手でお迎えということになっていたのだが、誰もいない。午前中のセッションがやや長引いてまだランチが始まっていないというのだ。お世話係りとしては冷や汗が出た。
ランチ終了後は朗読会。参加者の多くは2001年に天為同人宮下恵美子氏がリー・ガーガと共訳したEinstein’s Century(アインシュタインの世紀)ですでに先生の作品に触れていたが、先生のご訪問を記念するという意味からも2012年版Yuki Teikeiのアンソロジーに私とパトリシア・マックミラーが「不希」「鵬翼」からの句を英訳して掲載した。「アインシュタインの世紀」とアンソロジーから30句ほどを朗読していただいた。先生には日本語をゲリーに英語を読んでもらうということになっていたが、お茶目なところもある先生は「僕が英語で読んでゲリーに日本語で読んでもらうか」とおっしゃられて「書肆に入る人を数へて寅彦忌」のトラヒコの発音に苦労していたゲリーを慌てさせた。朗読会の後は夜の句会のための吟行という予定だったが、その前に本のサイン会を開いた。単にサインを求めるだけでなく、質問したり自分の活動を説明しだしたり、列は遅々として進まない。吟行の時間が短くなってしまったので「日本語で作るから英訳してよ」という先生のリクエストを「ダメです!先生も英語で作ってください」と答えて、アメリカ人の仲間たちより「日本では『センセイ』の言うことは絶対じゃないの」と呆れられた。
ディナーの後の句会では一人2句を投句。披講はせずにHPNC代表のスーザン・アントリンと南カリフォルニアから参加したデビー・コラージが電光石火の勢いでタイプした清記用紙をディナーの間にコピーし、それぞれに5句ずつ選んでもらって挙手で点盛りをするという形式をとった。ゲリーとパトリシアにも選を発表してもらい、先生には並選と特選を選んでいただいた。互選最高得点かつ先生の特選をとったのは南カリフォルニアから参加したビリー・ディーの次の句であった。
everything
I need to know. . .
driftwood
Billie Dee
(知るべきもの全てがここに流木)
翌朝は9時から基調講演が予定されていたが、先生がその前に散歩を希望された。「何時にお迎えにあがりますか?」と聞いたら「6時」とのお答え。朝の散歩のお供役を頼んでいたゲリー、HPNCのデービッド・グレイソン、パーク・レンジャー(公園保護官)で自然に詳しいYuki Teikeiのロジャー・アベが朝の早さに怖気づく。結局ロジャーと私がお供することになり、早朝のビーチへ。先生は熱心にロジャーに鳥の名、草花の名を尋ね、句帳にかきとっておられた。海外にいる時の方が時間があって句が作れるとは聞いていたものの、ああやってお作りになるのか、と、常に好奇心と勉強心を失わない先生の一面に触れひたすら脱帽した。ロジャーが砂浜に鹿の足跡を見つけた。帰国後の銀杏会で「昨夜鳴きし砂丘に深く鹿の跡」という句を発表されていたのが、なんだか嬉しかった。
基調講演はWhy Haiku is Popular(何故俳句は人気があるのか)という題で芭蕉や蕪村などの句を例に出して日本の俳句の歴史を語られると共にアニミズムについても触れられ、俳句がヨーロッパやアメリカの詩人、俳人たちにどのような影響を与えたかをエゾラ・ポンドやビート派のジャック・ケロアックの作品を紹介しながら説明してくださった。2011年にノーベル文学賞を受賞したスウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメルの「俳句は凝縮かつ透明性の高い文芸である」という言葉には参加者も深く頷いていた。さらに金子兜太、森澄雄、飯田龍太などの現代の日本の俳句の重鎮たちの作品にも触れられ、俳句は国を越えての理解を深め、地球に平和をもたらすものであるとしめくくられた。
公開インタビューではHSAのミシェル・ルート・バーンスタインからの質問に対し、著名な物理学者でもある先生は、日本語ではイマジネーション(想像)とクリエーション(創造)は同じ発音であり、俳人にも科学者にもその両方が必要であると答えられた。全日程を終了した後、主催者である三つの団体からの記念品を贈呈した。
全員集合写真では皆と一緒に元気に飛び跳ねていただき、日本の俳句大会とは異なるカリフォルニアスタイルの数日をご満悦いただいたようだ。先生が到着されるまで会場のアシロマーは雨がちらついてやや寒かったようだが、先生がお着きになってからは快晴、かつ暖かい気候となり、先生は晴れ男であることを確信した。参加者の心にも青い大きな空が広がったことと思う。
最後に、先生を招聘するための寄付にご協力いただいた天為編集部、同人の皆様に深くお礼を申し上げる。
(青柳 飛)
(「天為」2013年3月号より転載)